〜yoshiko’s Profile〜 1997/11 1stUpdate 1999/11 2ndUpdate |
都内在住の会社員。 とんねるずのファンになったのは、確か小学校4年生ごろ。 いとこの家で「一気」「青年の主張」などのレコードを聴いたのをきっかけに、なんとなく夕方テレビで「戒め」シールを配っていたり、女子高生をおちょくっていたお兄さん達に興味を抱くようになりました。 「雨の西麻布」などのヒットもあり、しばらくはお笑いよりも歌手としての活動も多かったことから、歌番組の中をひっかき回す2人を楽しみにしていました。そして、憲さんの歌唱力というか歌声に妙にひかれていきました。 と、ここまでは、「歌手とんねるず」という見方でいたのですが、それを大きき揺るがす出来事が起きました。1986年から火曜ワイドスペシャルで単発として放送され、1988年10月レギュラー化され、とんねるずの人気を不動のものとした「とんねるずのみなさんのおかげです」のスタートです。この番組をきっかけにとんねるずをコメディアンとしてみるようになりました。特に、憲さんの演じるキャラクターには独特の世界を感じました。 それ以来、憲さんワールドにはまり込んだわけですが、ここ最近は、「みなさんのおかげでした!」では思い出したようにコントをやることはあるものの、続いていかない・・・。「・・・かも」のタカシ(みるみる女)、たった1回しか放送されていない「よいしょ丸」(復活熱望!)一体どうしちゃったんだ・・・。 確かに、「生ダラ」での芸術家:憲太郎・演歌歌手:憲三郎etc・・・のキャラクターとなって披露するさまざまな才能の片鱗には尊敬しますが、物足りなさを感じざるを得なかったのです。「演じる」ことによって、その独特の世界を作り、キャラクターそのものとしてキャラクターを膨らませていく。それが憲さんの本領であり、実力であり、最大の魅力なのです。1999年7月から放送された「小市民ケーン」で「連ドラ史上最も情けない男」(途中から普通の人になってしまいましたが)という、”喜劇役者”憲さんにとっては演じ甲斐のある(と思う)役柄で私たちを久々に堪能させてくれました。 しかし、ドラマが終わってしまうと、結局ワンフーにとっては寂しい日々が続きます。 年に1回の「こんと いん なえば」も2000年で最終回となりますが、たった年に1度しか見られないなんて。それも、毎年見に行くことができたワンフーはそう多くはなかったはずです。 コントを年に一度の苗場だけでなく、テレビでやって欲しい。とんねるずのコントを知らないワンフーだっているのです。とても寂しい現状です。 とんねるずのコントをテレビで毎週見たい。 私は憲さんのファンですが、決して憲さん一人ではあの世界は作り出せるものではないと思います。 貴さんなくして、憲さんはないのです。 来年で、とんねるず結成20周年。これを機に、ワンフーとの気持ちの距離を縮めて欲しい。 ワンフーの願いをかなえて欲しい。この願いは、2人に届くのだろうか・・・。 |
〜yoshiko’s favorite character〜 |
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〜yoshiko’s favorite songs〜 |
憲さんのソロのいいところは、「憲さんが作ってる」っていうのが伝わってくること。憲さんの歌詞は、変に飾ってなくて、「憲さんの言葉」で書かれてる。曲も仲のよいチェッカーズのメンバーが作っていたり(「HONEY」arrivalより=武内享、「なお、あなたを・・・・・」河口湖より=藤井尚之)、ちょっと外れますが、憲さんがプロデュースを担当したアルバム「おまえ百までわしゃ九十九まで」では、作曲をいつものゴッキーではなく、出光のCMなどで音楽を担当していたジェームス下地さんに依頼するなど、こだわっているのがよくわかります。 また、新しい「憲さんの歌」が聞いてみたいな・・・。 |